【土井レミイ杏利独占インタビュー】第1章(全6章):Nouveau départ


土井レミイ杏利。フランス名Rémi Feutrier。

 

 

1989年9月28日にフランスのパリでフランス人の父と日本人の母との間に生まれ、4歳から千葉県成田市で育つ。8歳の頃に兄弟の影響でハンドボールと出会い、富里北中学、浦和学院高校を経て、日本体育大学へ進学。オーバーワークが原因で4年生の時に左膝蓋軟骨軟化症を発症し、その影響で右膝も痛めてしまい、卒業後の引退を決断。

 

2012年、大学卒業後に語学留学の為に訪れたフランスのシャンベリーで膝の状態が奇跡的に回復し、名門チームとして知られるシャンベリー・サヴォワ・アンドバルのセカンドチームに加入して現役復帰。活躍が認められ、翌年トップチームとプロ契約を結ぶ。フランス1部リーグで日本人が選手登録されたのはUSAMニームで活躍した田場裕也(2002-2005)以来の快挙である。

 

2年目の2014/15シーズンではリーグ戦全試合出場、ゴール決定率75.61%を記録し、クラブから重要な戦力として認められ、2年の契約延長を勝ち取る。3年目にはチームがEHF Cup(サッカーで言う所のUEFAヨーロッパリーグ)のFINAL4へ進出。

 

2015/16シーズンはアントニオ・カルロス・オルテガ監督率いる日本代表の一員としてワールドチャンピオンシップに出場、更にはフランス1部リーグのオールスターゲームの外国人選抜チームに日本人として初選出された。翌2017/18シーズンからフランス2部のシャルトル・メトロポール・アンドバル28へ2年契約で移籍することが決定。

 

土井レミイ杏利(以下、土井)のプロキャリアは如何にもおとぎ話のように見える。しかし、フランスに来てからの5年間、土井は独り悩み、苦しみ、もがき抜いてきた。普段は笑顔の絶えない、底抜けに明るい人物であるが、その笑顔の裏で彼が戦ってきたのは孤独。そして自分自身である。

 

これまでメディアで語られることは無かった、プロハンドボーラー土井レミイ杏利の波乱に満ちたキャリアを綴る。

 

憧れの選手に導かれて辿り着いた地で

フランス共和国サヴォワ地方、アルプスの麓に位置する風光明媚な都市シャンベリー。15〜16世紀中盤までサヴォワ公国の首都として栄えた古都に、22歳の青年が辿り着いたのは2012年の8月だった。

 

土井をこの地へ誘ったのは1998〜2003年の間日本ハンドボールリーグの本田技研でプレーした元フランス代表の名手ステファン・ストックラン。本田技研を退団後、彼がキャリアの最後を飾るチームとして選んだのが生まれ故郷であるサヴォワ地方にある強豪シャンベリー・サヴォワ・アンドバル(以下、CSH)であり、彼に強く憧れていた土井がこの人口6万人弱の小都市を行き先に選んだのは自然な流れであった。

 

 

就職活動をせぬまま大学卒業を迎えた土井は、将来の選択肢を広げるべくフランスでフランス語を学びながら、週末はプロハンドボールの試合を観るという生活を送り、1年で日本へ帰る予定でいた。シャンベリーへ出発するまでの間の半年弱は父のダニエルがオーナー兼シェフを務めるレストラン『多古ピザ』で働き、それを現地での生活費に充てた。

 

シャンベリーでの生活が始まって間も無く、土井はふとあることに気付いた。学生時代に負傷し、痛み止めを打ち、テーピングで固めなければプレー出来ない程苦しんできた膝が痛くないのだ。すると、ある感情が自然に沸き起こってきた。

 

「ハンドボールをしたい。どんなレベルでも構わないからハンドボールを楽しみたい。」

 

父は息子が8歳からのめり込んで来た大好きなハンドボールをまたやりたくなるだろう、と見越していたのか、既にシャンベリーにあるハンドボールチームと話をつけてくれていた。

 

そのチームとは、『シャンベリー・サヴォワ・アンドバル セントル・ド・フォルマション(Centre de Formation)』。CSHの若手育成を目的としたセカンドチームである。このチームは基本的に22歳以下の若手選手が所属し、フランス3部リーグに相当するNationale 1を舞台に戦っている。

 

 

始まりの1歩は、野心のない1歩

9月から練習に参加し始め、土井がまず衝撃を受けたのは、所属選手達の成熟具合だった。

 

「みんな体格良いし顔は濃いし、歳上だと思っていました。でも、あとで聞いてみたら僕が一番歳上だった。もちろん見た目もありますけど、彼らが歳上に見えたのはプレーの質の高さ。ジョアヌ・マレスコ(Johannes Marescot/現在CSHトップチーム所属のラインプレイヤー。194cm、110kg)なんて当時18歳だったにも関わらず今と同じ体格でしたからね。だから驚きましたよ。」

 

当時のセカンドチームには才能溢れる若手選手たちが所属していた。

 

現在トップチームで主戦力として活躍しているアレクサンドル・トリッタ(Alexandre Tritta)、キエド・トラオレ(Queido Traore)、そして先述のジョアヌ・マレスコ(Johannes Malescot)。また、ゴールキーパーのマキシム・デュオ(Maxime Diot)はCSHトップチームを経て現在は2部のディジョン・ブルゴーニュ・アンドバル(Dijon Bourgogne Handball)でプレーしている。彼らはトップチームに昇格してプロ契約を勝ち取り、活躍して成り上がるという野心に満ちていた。一方、土井にはその野心が無かった。

 

「僕は当時ずっと1年後に日本へ帰るつもりでいましたからね。試合に出ても、プロになるために結果を残さなきゃというプレッシャーが無かったんです。だからのびのびとプレー出来て、それが結果的にプロ契約に繋がったんだろうなと思っていますよ。」

 

監督のベルトロン・パシュー(Bertrand Pachoud)は、早い時期からリーグ戦出場を要請する程土井の能力を高く評価していた。しかし、土井の選手ライセンスは日本ハンドボール協会の管轄下にあった為、国際移籍手続きが完了して試合に出られたのは11月からであった。

 

リーグ戦に出場し始めると土井はすぐさま頭角を現し、周囲の耳目を集める存在となった。彼らは日本でプレーしていた土井のことを当然知るはずも無かった為、驚きは殊更大きかった。その結果、シーズン中盤からのデビューにも関わらず、シーズン終了後にMost Impressive Player(最も印象に残った選手)の2位に選ばれた。

 

一人の無名選手がもたらした衝撃

土井が与えたインパクトの大きさについて、パシューが常に取り上げるエピソードがある。

 

2013年1月に行われたモンペリエ戦(アウェイ)でのことである。

 

CSHとモンペリエは激しいライバル関係にあり、両者の戦いは「Les Classico(ル・クラシコ)」と呼ばれ、試合はより張り詰めた雰囲気になる。セカンドチームにおいてもこの関係は変わらない。

 

この試合、モンペリエはトップチームでプレーする選手を出場させ、CSHだけには絶対に勝たなくてはならないという意思を示してきた。チュニジア代表のウィッセム・ハマム(Wissem Hmam)、当時スペイン代表であったクリスティアン・マルマグロ(Christian Malmagro)、そしてバプティスト・ボンフォン(Baptiste Bonnefond)というただベンチを温めているだけのメンバーとは違う、第一線で戦う猛者達を投入してきたのである。

 

土井はベンチスタート。トップチームで活躍しているプロ選手が加わったモンペリエ相手に苦戦を強いられる苦しい展開の中、左利きのエースであるトリッタが負傷してしまい、代わりのライトバックがいなくなってしまった。土井がオールラウンドにポジションをこなせる選手であることを知っていたパシューは、土井にライトバックで出場してくれと声をかけた。土井が即諾しコートへ入ると、状況が好転し始める。

 

「それまで何をやっても通用しなかったんですけど、僕が出てから全てが変わりました。いわば“フォーメーション・スペシャル・レミイ“。周りが(相手ディフェンスを)広げて、(空いたスペースに)僕が1対1を仕掛ける。ただそれだけなんですけど、何をやっても上手くいきました。
相手の監督が『前に出るな!ヤツとは1対1で勝てないから下がれ!』と言っていたんですけど、僕はシュート力も結構ある方なので、下がったディフェンスに対して上から決めました。あちらは為す術もないといった感じでしたね。」

 

最終的に土井は途中出場にも関わらずチーム最多タイの6得点を挙げた。試合は結果的に29-24でモンペリエが勝利したが、勝敗とは関係なく両チーム共に土井の話題で持ちきりとなった。

 

「試合後、僕は誰も知り合いがいないので、コートの隅でやり過ごしていたんです。するとモンペリエの選手たちが帰り際に僕の肩に手をやって『コングラッチュレーションズ』って言ってきたんですよ。(シャンベリーは)負けたのにそう言ってくる意味が全然わからなくて。」

 

約半シーズンのみの出場にも関わらずMIP2位選出、ル・クラシコでの衝撃的な活躍など、十分と言えるほどの結果を残してもなお、土井は日本へ帰る気でいた。


しかし、チャンスは突然舞い降りて来た。トップチームから練習参加の要請が来たのである。

 

第2章へ続く−。
(文中敬略称)

続きはコチラから:第2章:シントック・ドゥ・メルドゥ

Handball Japanの更新は、公式Twitterにて受け取れます。

RyoheiKobayashi
1987年神奈川県藤沢市生まれ。ドイツ連邦共和国ラインラント=プファルツ州マインツ在住。日本ハンドボール協会ヨーロッパ特派員。
学生時代ドイツへ旅行した際に観たEHFチャンピオンズリーグRhein-Neckar Löwen対FC Barcelonaで感じた興奮と、Gudjon Valur Sigurdsson(Rhein-Neckar Löwen)によるファンサービスへの感動からドイツへの憧憬を覚える。
卒業後、東証一部上場メーカーで勤務するも、休暇を利用して訪れたドイツにて、THW Kielの広報、Füchse Berlinの事務局長へインタビューしたことをきっかけに、ドイツの地でプロハンドボールクラブのマネージャーになることを志し、退職して渡独。2017年春よりマインツ大学大学院国際スポーツマネジメントコースへ入学予定。
現在、入学準備を進める傍ら、代理人、通訳としても活動中。
好きな酒は、日本酒、球磨焼酎、ビア、ワイン

This article has 2 Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です