【土井レミイ杏利独占インタビュー】第2章(全6章):シントック・ドゥ・メルドゥ


2012年9月、フランスリーグの名門シャンベリー・サヴォワ・アンドバル(以下、CSH)のセカンドチームでハンドボール選手としてのキャリアを再開した土井レミイ杏利(以下、土井)。

 

第1章はコチラから:第1章:Nouveau départ

 

一夜限りの夢、その先に

移籍手続きの関係でリーグ戦は半シーズンのみの出場にとどまったものの、周囲を驚かせるほどの結果を残した土井に突如チャンスが舞い降りて来た。シーズン終盤、トップチームのレフトウイングが二人共負傷離脱してしまった為、穴埋め役として練習参加を要請されたのである。同時期にセカンドチームのレフトウイングも怪我をしていた偶然が重なり、クラブがさらなる代替え役を探していたところ、セカンドチームのベルトロン・パシュー監督からオールラウンダーとして高評価を受けていた土井が指名されたという訳である。

 

「これまでウイングというポジションに専念して取り組んだことが無かったので、素人同然の状態でした。だけども、プロの練習で結構通用してしまったんですよね。新しい挑戦に臨むフレッシュな気持ちが、良いプレーをどんどん引き出してくれたのではないかと思います。」

 

土井が練習で見せた質の高いパフォーマンスをトップチーム首脳陣は評価し、2013年3月28日クープ・ド・フランス(Coup de France:フランスカップ)準々決勝のモンペリエ戦に彼を招集した。

 

結果的に土井が出場すること無くCSHは25-29で敗退してしまった。しかし、アマチュア選手としてではあるが、初めてプロに混じってベンチ入りした経験は土井の心を揺さぶるのに十分過ぎた。

 

「(試合の)前の日からテンションが上がっていました。初めて試合に向けてル・ファー(Le Phare:CSHのホームアリーナ)の更衣室に入って、(トップチームの)ユニフォームを着て、靴紐を結んで、そういった瞬間瞬間を全て覚えていますよ。」

 

トップチームの練習参加、公式戦メンバー入りを機に土井の中に『プロ』という言葉がよぎり始めた。しかし、CSHが自分を来季の戦力として見ているとまでは思っていなかった。

 

「プロを少し意識していましたけど、さすがに契約を結ぶことは無いだろうと思っていました。怪我人が出たらセカンドチームから若手を呼ぶというケースはヨーロッパでよくあることですから。3部の他のチームから誘いを受けてはいましたけど、予定通り日本へ帰るつもりでした。」

 

6月上旬、当初予定していた通り帰国の準備を進めていた土井の携帯電話に突然着信が入る。電話を掛けて来たのはCSHのチームマネージャーだった。

 

「『お前をプロ契約させるから』と言われました。奮えましたよね。『マジか・・・』と。」

 

日本へ帰るつもりでいたところへ思いもよらないプロ契約のオファー。まさに青天の霹靂であった。2013年夏、こうして土井は強豪シャンベリー・サヴォワ・アンドバル所属のプロハンドボールプレイヤーとして『プロフェッショナル』という未知の世界の住人となったのである。

 

直面した“文化“の壁

1983年創設のシャンベリー・サヴォワ・アンドバルはリーグ優勝回数こそ1度のみだが、準優勝11回を数え、EHFチャンピオンズリーグ、EHFカップといった国際大会へ常に出場する強豪クラブである。

 

当時チームには世界有数の名手が数多く所属していた。

 

世界選手権優勝、欧州選手権優勝、オリンピック金メダル、ブンデスリーガ優勝、DHBポカール(ドイツカップ)優勝など、ありとあらゆるタイトルを獲得してきたジル三兄弟の長男、現在フランス代表助監督を務めているギヨーム・ジル(Guillaume Gille)。兄ギヨームと共に代表、ハンブルガーSVハンドバル(ドイツ)で活躍し、IHF最優秀選手に選ばれた次男のベルトロン・ジル(Bertrand Gille)。そして、現在キャプテンを務めている三男のバンジャマン・ジル(Benjamin Gille)。

 

北京オリンピック優勝メンバーの一人である元フランス代表セドリック・パティ(Cédric Paty)

 

USAMニームで田場裕也と共にプレーしていた元フランス代表グレゴワール・デトレーズ(Grégoire Detrez)

 

現在はFCバルセロナに所属するフランス代表レフトバック、ティモテ・エンゲサン(Timothey N’guesan)

 

元フランス代表ライトバック、現在はVfLグンマースバッハ(ドイツ)所属のケヴィン・ニョカ(Kevynn Nyokas)

 

リーグ最優秀プレイメーカーに選ばれたことがある元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表エディン・バシッチ(Edin Bašić)

 

元クロアチア代表レフトバック、ダミル・ビカニッチ(Damir Bičanić)

 

この錚々たる面々と共に土井は戦って行くこととなった。

 

シーズンが始まって4ヶ月が経った11月頃、土井は自身が置かれている状況に違和感を感じ始めた。フランス語のスラングがわかるまでフランス語力が上達し、自分がチームメイトから呼ばれている“愛称“の真の意味に気付いたのである。

 

−シントック・ドゥ・メルドゥ。

 

中国人に対して使われる蔑称で、その蔑称の中でも最も下賎な差別用語である。土井は真の意味に気づくことなく毎日「シントック・ドゥ・メルドゥ」と呼ばれていた。

 

なぜこのような差別を受けるようになってしまったのか。その原因は土井がチーム内で行って来た振る舞いにあった。

 

彼が直面した最初の“文化“の壁である。

 

 

リスペクト

土井は小学校から大学まで日本で育ち、特に大学は日本体育大学体育会という絶対的な封建社会で過ごした為、彼の中には日本的な上下関係が染み付いていた。CSHのチームメイトは皆歳上で、しかも世界の頂点を掴んだスター選手もいる。彼が大学時代と同じように振る舞ったのは自然な流れであった。しかし、
知らないことがかくも恐ろしいか。すでに坂から転げ落ち、自分の周りには誰も存在せず、声を張り上げても届かない。そんな醜悪な世界にいることに、彼は気づくことすら出来ずにいたのだ。

 

「相手を尊敬し過ぎてしまったんです。何を言われても受け容れ、雑用も全部言われるがままやってしまったんですよ。でも、それがいけなかった。日本では良しとされる行動、考え方なのでしょうけど、フランスでは全く良しとされない。と言うのも、こちらには無い文化なんですよ。」

 

唯々諾々としている土井とは対照的に、同じくセカンドチームから昇格して来た若手のフランス人選手たちは、歳上の選手に気を遣うという姿勢は無く堂々と自己主張し、雑用を言われるがままにするような事は一切無かった。

 

「フランスでは、チーム内でどれだけ歳が離れていても“みんな仲間“なんです。だから、歳上の人も歳下のことを(一人の人間として)尊敬します。僕のようにペコペコする事は全く尊敬されないんです。それ見て周りは『こいつは仲間になれない』と認識してしまったんです。(若手のフランス人選手たちの)その行動はこちらの文化では正しい振る舞いであって、僕が取った行動というのは間違いだった。そのやり方ではチームに溶け込めないんです。」

 

そうして土井は知らず知らずのうちに、チームメイトから仲間として認められず、最も下のランクに格付けされてしまった。その後、チームメイトは土井に対して酷い仕打ちをする事は無かったが、強硬な態度を取るようになった。例えば、ある選手がミスをした際、それを土井のミスとした。当時の土井は、その理不尽な責任の押し付けを、自身の責任として受け容れていた。もはやそこに土井に対するリスペクトは存在しなかった。

 

前年、セカンドチームに参加し始めた頃の土井は、すんなりとチームへ溶け込むことが出来ていた。チームメイトと一緒に夜の街へ繰り出して仲を深めたことに加え、ハンドボール選手として実力を認められていたことが大きかった。しかし、トップチームで指名されたポジションは未経験のレフトウイング。類い稀な身体能力の高さに驚かれることはあったものの、プレー面では未だ認められていなかった。

 

自身の状況への気づきは徐々に輪郭を帯びてきた。そしてそれは「シントック・ドゥ・メルドゥ」の意味を理解した時、明確なものとなった。

 

「全部僕のせいなんですけど、気付いた時にはもう遅かった。それからは気分が悪い、練習に行きたくなくない、チームメイトと顔を合わせたくない。そうなってしまうと、コート上で良いプレーが出来ないんです。楽しくないんですよ、ハンドボールが。」

 

心の底から楽しんでいたハンドボールが楽しくない。土井は負のスパイラルへ陥ってしまった。

 

楽しめ。ただただ楽しめ。

このままの状態でいると、選手として続けていくことは出来ない。土井は強い危機感を感じていた。

 

国際大会開催の為に設けられるウィンターブレイクを利用して、土井は状況の打開を独り模索した。その結果たどり着いた解決策はメンタルの入れ替えであった。

 

「『自分が楽しめない何かの為に頑張ることは虚しいことだ。その苦しみから逃れられないのであれば、むしろそれ自体を楽しんでしまえ!今自分が弱いということは、これから強くなる楽しみがあるということだ!だから楽しめ。周りの連中が言うことはどうでもいい、ただただこの状況を楽しめ!』と毎日呪文のように自分へ言い聞かせました。でも、人は簡単に根本から切り替えられるものじゃないんですよ。だから、自分の人格を入れ替えるくらいの覚悟で、二週間毎日メンタルトレーニングをしました。例えば、この状況。『あいつ、こんなこと言って楽しんでるよ。程度が低い人間だな、笑い飛ばしてやれ』という捉え方の切り替え。苦しいこと、嫌だなと感じること、全て楽しんでやれと思えるようにしたんです。」

 

ウィンターブレイクの間、土井はとことん自分と向かい続けた。底抜けに明るい生来の性格も手伝い、シーズン再開後、荒療治の効果はハッキリと出た。尚続く侮蔑をどうでもいいと笑い飛ばせるようになったことで、負のサイクルを脱してトレーニングを楽しめるようになったのである。プラスに働いたメンタルは良いプレーを引き出し、土井は公式戦メンバーとして招集されるようになった。

 

ハイライトはリーグ終盤の2試合。まずは2014年5月15日に行われたアウェイでのダンケルク戦、そのシーズンを優勝することになる相手に土井は目覚ましい活躍を見せた。その試合、リーグ最少失点のディフェンスを誇るダンケルクは、シャンベリーの攻撃を封じるべくプレイメーカーのエディン・バシッチにマンマークを付けた。土井の運動能力の高さとフェイントの速さを高く評価していたバシッチは、土井とポジションを交換することで状況の打開を図った。センターへポジションを移した土井は果敢に1対1の勝負を仕掛け、鉄壁のダンケルクデュフェンス相手に3得点を挙げた。Rémi Feutrier(土井のCSHでの登録名)という無名の日本人選手が見せたパフォーマンスは、目の肥えたダンケルクファンを驚かせるのに十分であった。

 

続く5月23日に行われたホーム最終戦、相手はライバルのモンペリエであった。前年度のモンペリエ戦はメンバー入りしたものの出場が叶わなかった事もあり、この試合に懸ける気持ちは人一倍高かった。この試合、土井はレフトウイングとして出場し、シュートを2本放ち、全て決めてみせた。しかも、その当時の相手ゴールキーパーは世界最高の選手の一人であるティエリー・オメイエール(Thierry Omeyer/フランス代表)であった。

 

一年目、苦しみながらも学んだ強さ

2013/2014シーズンの成績はリーグ戦6試合出場7得点(シュート決定率70%)。もがき苦しみながら戦い抜いたプロ一年目。しかし、チーム内での土井の立場が好転することはなかった。ただ、メンタルを入れ替えた効果は確かに出た。ハンドボールプレイヤーとしての実力は伸び、精神的な強さを獲得することが出来たからである

 

「元々2年契約だったので、1年目はレフトウイングというポジションを完璧に学ぶためのシーズンと割り切っていたのですが、(シーズン)最後の方はウイングらしいことも出来るようになりました。このシーズンは結構辛かったです。うーん、辛かった。でも、メンタルはかなり鍛えられましたね。どれだけ蔑まれようが、何を言われても『どうでもいい』と思えるようになったので。『どうでもいい』って思うことも強さなんです。」

 

「フランスは特に日本人には難しい国だと思いますね。何故かと言うと、優しくないから。自分から行かないと(向こうから)歩み寄ってくれない。何か言われても(自分の意見無しに)『はい』と答えてしまったら、完全に見下されておしまいですから。だから、自ら動けて、尚且つ厳しい意見の中でも自分を保ち、それに対して毅然と言い返せる人。強い意思を持っている人でないとフランス(のハンドボール)では生きていけないですね。それを当時の僕は知らなかった。でも、それがわかったからこそ、今ここにいる訳で。プロ一年目で学んだことは多かったですよ。」

 

苦しみの末乗り越えた壁の次に待ち受けていたのは、深遠な溝であった。プロ2年目、土井はさらなる苦しみと向き合うことになる。

 

第3章へ続く–。
(文中敬略称)

続きはコチラから:第3章:孤独

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RyoheiKobayashi
1987年神奈川県藤沢市生まれ。ドイツ連邦共和国ラインラント=プファルツ州マインツ在住。日本ハンドボール協会ヨーロッパ特派員。
学生時代ドイツへ旅行した際に観たEHFチャンピオンズリーグRhein-Neckar Löwen対FC Barcelonaで感じた興奮と、Gudjon Valur Sigurdsson(Rhein-Neckar Löwen)によるファンサービスへの感動からドイツへの憧憬を覚える。
卒業後、東証一部上場メーカーで勤務するも、休暇を利用して訪れたドイツにて、THW Kielの広報、Füchse Berlinの事務局長へインタビューしたことをきっかけに、ドイツの地でプロハンドボールクラブのマネージャーになることを志し、退職して渡独。2017年春よりマインツ大学大学院国際スポーツマネジメントコースへ入学予定。
現在、入学準備を進める傍ら、代理人、通訳としても活動中。
好きな酒は、日本酒、球磨焼酎、ビア、ワイン

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