【土井レミイ杏利独占インタビュー】第3章(全6章):孤独


フランスリーグ一部の強豪クラブ、シャンベリー・サヴォワ・アンドバル(以下、CSH)は、ギヨーム・ジル(Guillaume Gille)が現役を引退、ケヴィン・ニョカ(Kevynn Nyokas)がFRISCH AUF! Göppingen(ドイツ1部)へ移籍した一方、フランスハンドボール界の伝説的存在であるジャクソン・リシャーソン(Jackson Richardson)を助監督に迎え、2014/2015シーズンへの体制を整えた。

 

第1章はコチラから:第1章:Nouveau départ
第2章はコチラから:第2章:シントック・ドゥ・メルドゥ

 

プロ2年目の更なる苦悩

プロ2年目の土井レミイ杏利(以下、土井)は、CSHとのプロ契約最終年を迎えていた。契約延長を勝ち獲る為にも、このシーズンは何としてでも結果を残さなければならない。

 

1年目に自らの過ちから呼び込んでしまった差別を、自身のメンタルを乗り越えることで克服した土井であったが、2年目も未だにチームに溶け込めずにいた。次に直面したフランス文化の壁はironie(イロニー)、皮肉であった

 

「皮肉めいたギャグというのが(フランスでは)すごくウケるんですよ。日本は自虐ネタで笑いを取ることが多いですが、こちらは逆で、他人をバカにして笑いを取るような文化なんです。しかも、皮肉の言い合いにおいてちゃんとした受け答えが出来ないと、わかっていないということで(会話の)仲間から外されてしまう。僕はそれに慣れていなかった上に、面白いとも感じませんでした。でも、馴染まないといけなかった。」

 

京都の洛中などを除き、皮肉を会話に織りまぜる文化は日本に馴染みが薄い。素早い頭の回転に加え、フランス語の高度な語彙力も必要になる為、土井が味わった苦労は計り知れない。しかも、彼を取り巻く環境は前季から変わっておらず、差別は未だに続いていた。

 

「2年目も差別用語は続いていました。でも、僕のメンタルは既にかなり鍛えられていたので、どれだけ蔑まれようが、何を言われようがどうでもいいと思えました。『俺は俺のやりたいようにやる』という強い気持ちがあったからこそ、シーズン通してやれていたんですよ。」

 

リーグ26戦中25試合出場、62得点、シュート決定率75.61%。その強い覚悟に支えられて、土井はこのシーズンCSHに所属した4年間で最高の成績を残した。

 

最高の瞬間、最高の熱狂

ハイライトは2015年4月5日に行われたCoup de France(クープ・ド・フランス:フランスカップ)準決勝、パリ・サンジェルマンとのホームゲーム。その試合は筆者も観客席から見ていた。

 

4-2と昨季フランス王者相手にリードしていた前半13分。味方のパスカットに素早く反応して飛び出した土井はトップスピードに乗った状態でパスを受けると、猛スピードで戻って来た2011年、2015年のIHF世界最優秀選手であるミッケル・ハンセン(Mikkel Hansen)を鋭いカットインでかわし、立ちはだかる世界最高のゴールキーパー、ティエリー・オメイエール(Thierry Omeyer)からゴールを奪った。

 

チームを更に勢い付けるこのゴールに観客は総立ち。ゴール裏に陣取る熱狂的なサポーターグループ「FREGA 12」からは「Feutrier!Feutrier!」と土井を讃えるコールが起こった。

 

後半も土井の勢いはとどまる事を知らなかった。対峙していたのは世界最高のライトウイングの一人であるリュック・アバロ(Luc Abalo)。試合序盤から土井はリスクを冒さず、レフトバックへボールを繋ぐ動きを続けていた。後半に入り、前半と同様にパスを流す仕草を見たアバロは、またパスを繋ぐのだろうと判断した為か腰が浮いた。その瞬間を見逃さなかった土井は急激にスピードを上げ、逆方向にステップを切ってアバロを完璧に抜き去り、またもやオメイエールからシュートを決めてみせた。周到に餌を蒔き続けて、アバロを出し抜いたのである。日本人選手が世界最高の選手たちをきりきり舞いさせている姿を見て鳥肌が立ったのは言うまでもない。

 

 

コート上の光、コート裏の闇

プレイヤーとして結果を出し続けていた土井であったが、シーズン終盤に差し掛かっても自身に対する差別は変わらず続いていた。

 

「朝挨拶する時、『調子どうよ、中国人』ということを最も汚い言葉を使って言われるんですよ。他にも侮蔑する言葉を使って皮肉を飛ばしてきたり。それに対して、『みんなも笑っているからそれでいいや』と割り切って笑って済ませていたんです。もしかしたら彼らに悪気は無かったかもしれない。でも、無かったとしても僕は良い気分ではないです。いくらどうでもいいと笑い飛ばしたところで、結局そのストレスがどこかに溜まっていくんですよ。

 

毎日のように襲って来る精神的なストレスに対して、土井は真正面から向き合うのではなく、それらを「どうでもいいと笑い飛ばす」ことで流してきた。だが、気分を害しながらストレスを100%流し切ることには限界があった。その負の感情が溜まるにつれ、彼は周囲を顧みず自身のことだけを考えようと強く言い聞かせるようになっていった

 

一方、チームメイトは自分たちが掛ける言葉に対して変わらず笑う土井の姿を見て、土井自身が今の立ち位置を受け容れているのだろうと思ったのか、差別用語の使用を止めることは無かった。双方、お互いの気持ちに気づく事のないまま時が過ぎていったのである。

 

そして、ついに衝突が起こってしまう

 

2015年5月27日に行われたUSAMニームとのアウェイ最終戦。勝てばリーグ3位に浮上出来るチャンスであったにも関わらず、24-25でCSHは敗戦してしまった。試合終了後、土井はいつものように自身のFacebookページに試合の結果報告を投稿した。それに対して、とあるフランス人女性がレフェリーのジャッジへの不満を書き込んだ。

 

「確かに審判は本当に酷かったんですよ。さらにその試合、僕はシュート2本中2本決めたにも関わらず、スタッツに2/4と書かれたんですよ。自分の中でそれに納得いってなくて、(その女性の書き込みに対して)返信したんです。『(審判は)本当にありえなかったね。しかも、俺のスコア2/2だったのに2/4になってて最悪だったよ』という感じで。」

 

そのFacebookのコメントを読んだラインプレイヤーのグレゴワール・デトレーズ(Grégoire Detrez)が土井に激昂してしまう。

 

「グレッグ(デトレーズの愛称)が『お前はチームの事を全く考えてねえんだな!試合に負けたのに自分のスコアだけを考えて、そんな事どうでもいいだろ!』って僕に対してキレたんです。グレッグは一度その人をダメだと見なすと、ずっと面と向かって挑発するんですよ。それから毎日のように挑発が始まりました。練習中でも関係なく。その時に気付くんですよ。『あ、俺孤立しているな。』って。」

 

6月2日。トゥールーズとのホーム最終戦2日前に行われたフィットネストレーニングでの事である。デトレーズは土井の前に歩み寄りまたもや挑発をして来た。そこで土井の中で2年間溜まりに溜まったものがついに噴き出してしまう

 

 

「ちょっとグレッグ、聞いて。毎日のように汚い言葉で俺のことをけなして嬉しそうにしているけど、お前らのことを想って俺が2年間どれだけ我慢して笑っていたのかわかっているのか。それでもさらに俺にチームの事を想えって、、、お前は言うのか。」

 

 

言葉を振り絞る土井の目からは大粒の涙がボロボロとこぼれていた。

 

デトレーズは目を腫らしながら訴える土井の姿にショックを受けて立ちすくんでしまった。その場に居合わせていたバンジャマン・ジル(Benjamin Gille/現キャプテン)も狼狽し、「何で今まで言わなかったんだ。どうして2年間言わなかったんだ。」と声を掛けた。

 

「でも、僕は言えなかったんです。みんなが楽しければそれでいいやと(自分に)言い聞かせて笑い飛ばしていたので、結局言えなくて。『俺は2年間この状況にずっと傷ついて、毎日練習に行きたいと思っていなかったけど、仕事だし、プロとして結果を残さないといけないからやらなきゃいけない。ただ自分のことだけを考えて、その気持ちだけでやっていたんだ。だから、今俺がチームの事を想うのは不可能だ。』と泣きながら訴えました。あんなに泣くものなのかと自分でも驚いたくらい。」

 

土井はさらに言葉を紡いだ。

 

その時、初めて自分の本当の想い、心の底から思っていた想い、何も殻を被っていない本当の自分を表現出来た瞬間だったんですよ。それでみんな(僕の気持ちを)わかってくれて、スッキリしましたね。自分の中にあった重たいものが全部無くなって、心の底から笑えるようになりました。チームメイトも僕のことを普通に『Rémi』と呼んでくれるようになって、それで全部変わりましたよね。」

 

雨降って地固まる。ありきたりではあるが、土井とデトレーズの仲はすっかり打ち解け、無二の友と呼べる関係にまで深まった。しかも、来季共に2部のシャルトル・メトロポール・アンドバル28に場所を移して戦うことが決定している

 

「グレッグはあれから一切挑発して来なくなりました。彼とはもの凄く仲良いので。今でも冗談交じりに汚い呼び方で言われる時がありますけど、僕の気持ちをわかった上で言ってくれるので、今はもう何も無いですよ。」

 

 

トンネルを抜け、初めて気付けた思い

シーズン最後のトゥールーズ戦も先発出場した土井は精神的な重りから解放された影響もあり、パスカットなど好プレーを連発。シュートも3本中3本全て決めて33-24の大勝利に貢献し、チームはリーグ4位、EHFカップ予選参加の権利を手に入れてシーズンを終えた。

2014/2015シーズン、選手として最高の成績を出しながらも、精神的には最も苦しんだ年であったと土井は述懐する。

 

プロ2年目が一番辛かったです。本当に孤独。孤独との戦いでした。何故辛かったと言うと、相談出来る相手がいなかったからなんですよ。家族や友達に話しても、励ましてはくれるんですけど、同じ辛さを体験してわかっている訳じゃないから心に沁みない、芯に響かないんです。誰も相談にも出来ないので、自分だけで何とかするしかなかったんです。1年目にメンタルトレーニングをした時も同じです。相談出来る人がいなかったから、結局自分でやるしかなかった。

だから、何と言えばいいのか…辛かったですよね。何が一番辛かったと言うと、本当にその孤独感。チームメイトは(僕に)話しかけてはくれますけど、結局汚い言葉を浴びせて笑いを取って話が終わってしまうんです。そうなると、どんどん孤独を感じていく。孤独になることがこんなにも辛いものなのかと初めて知りましたよね。

 

過酷な練習環境で知られている日体大で4年間過ごした土井であるが、シャンベリーで味わった辛さは別物だと語る。

 

「身体的も精神的にも日体大の頃の方がシャンベリーより遥かに辛かったと思います。膝の怪我の事がありましたし、厳しい上下関係や規律の下、先輩と毎日のように過ごさないといけなかったですから。でも、何故乗り越えられたかと言うと、同じ苦痛を味わっていた同年代の仲間がいたからなんです。僕は彼らを家族と同類に見ています。4年間同じ寮で暮らしながら辛かった時期を一緒に乗り越えているので、僕らは(互いの苦しみが)全部わかるんですよ。

でも、こちらでは毎日のように精神的にダメージを受けても、同じ境遇を経験したことのある相談出来る人がいない。心を打ち解けられる人がいるというのは幸せな事だと感じましたね。

 

当時、弱気な面をSNSへ一切出していなかった土井が心情を吐露したことがあった。2015年2月17日。土井はプロテニス選手錦織圭が全仏オープンで受けた差別について書かれた記事に触れ、Facebookへ以下のような投稿をしている。

 

海外に挑戦しようと思ってる方。
読んでみてください。
これが現実です。
私も全く同じでした。そしてハンドボールはチームスポーツです。チームメイトからも人種差別されていました。味方なんか誰もいません。相談できる相手も周りには1人もいませんでした。同じ環境に立ったことのある人間じゃないと本当の意味で理解してもらえないからです。
多くの人に話したことはありません。でも同じように苦しみながらも結果をだそうとしている人の記事を読んでシェアすることにしました。

この気持ちが伝わるかどうかはわかりませんが海外挑戦を考えてる若者は特に聞いてください。
一番の敵はストレスです。ハンドボールの能力ではないです。みなさん能力はあります。でも、このあらゆる状況から蓄積されてくるストレスに上手く対応できない、つまりその環境に上手く適応できない人はどれだけハンドボールが上手くても海外じゃ成功しないでしょう。先に精神が潰れてしまうからです。

正直言って本当に辛かったです。監督、チームメイト、クラブ、サポーターの方達から信頼を得るのには時間がかかりました。 1人でメンタルを入れ替えるのは簡単ではありませんでした。 でもそこから全てが変わりました。この精神的な強さというのは日本では得られないものだと思います。そして日本人が世界で活躍するために最も必要とするものなのではないかなと思っています。
前もって知っておくだけでも少しは違うでしょう。皆で日本のハンドボールを盛り上げて行けたらいいですね^^
長々と申し訳ありませんでした。思わず気持が溢れてしまいましたw

 

そして、先述の通り、はけ口の無いストレスが溜まりに溜まり、ニーム戦後デトレーズに対して爆発してしまった。全てのつっかえが取れた後の6月5日。トゥールーズ戦後Facebookに投稿されたコメントから、土井の心境に明らかな変化があるのを見て取れる

 

シーズン最終戦対トゥールーズ!勝ちました!
今シーズンのフランスリーグを4位で終えました。長い長い戦いでした。昨日は色々と足を痛めて40分しか出場しませんでしたがシュートは3本全部決めてデイフェンス面でもいい活躍ができたと思います。ちなみに多くの方が気になさっているシュート決定率の方は、ポスト勢だけには敵いませんでしたが75パーセント半ほどで、左サイドと右サイドを合わせたサイド勢の中では余裕の1位でした(ง ˙ω˙)ว
でもそんなことはどうでもいいのです。大事なのはチーム。チームが勝利すること。私はここシャンベリーでプレーできることを心から誇りに思います。世界の名だたる選手たちと、時に一緒に、時に対峙してハンドボールができること、こんないい経験なかなかできません。これからもシーズンは続きます。ここまで応援して下さった方々本当にありがとうございました。来シーズンからもまた宜しくお願いします!!

 

2年間積もり重なったストレスを吐き出し、真にチームの一員となれた。また、シーズンを通しての活躍が認められて3月に2年の契約延長も勝ち獲る事が出来た

プレー面、精神面共に成熟した事で3年目のシーズンは希望に満ち溢れたものとなるはず…であったが、土井は思いもよらぬ落とし穴にはまることになる

第4章へ続く–。(後日公開予定)
(文中敬略称)

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RyoheiKobayashi
1987年神奈川県藤沢市生まれ。ドイツ連邦共和国ラインラント=プファルツ州マインツ在住。日本ハンドボール協会ヨーロッパ特派員。 学生時代ドイツへ旅行した際に観たEHFチャンピオンズリーグRhein-Neckar Löwen対FC Barcelonaで感じた興奮と、Gudjon Valur Sigurdsson(Rhein-Neckar Löwen)によるファンサービスへの感動からドイツへの憧憬を覚える。 卒業後、東証一部上場メーカーで勤務するも、休暇を利用して訪れたドイツにて、THW Kielの広報、Füchse Berlinの事務局長へインタビューしたことをきっかけに、ドイツの地でプロハンドボールクラブのマネージャーになることを志し、退職して渡独。2017年春よりマインツ大学大学院国際スポーツマネジメントコースへ入学予定。 現在、入学準備を進める傍ら、代理人、通訳としても活動中。 好きな酒は、日本酒、球磨焼酎、ビア、ワイン

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