【土井レミイ杏利独占インタビュー】第4章(全6章):思わぬ落とし穴


フランス1部リーグの強豪シャンベリー・サヴォワ・アンドバル(Chambéry Savoie Handball 以下、CSH)で不動のスターティングメンバーとしての地位を勝ち取った土井レミイ杏利(以下、土井)。前年度終盤、チームメイトへ自身の気持ちを全てさらけ出したことで真の意味でチームの一員となった土井の気持ちは、新シーズンに向けて希望に満ち溢れていた。

第1章はコチラから:第1章:Nouveau départ
第2章はコチラから:第2章:シントック・ドゥ・メルドゥ
第3章はコチラから:第3章:孤独

 

新しい門出

2015/16シーズン、CSHは陣容を新たにしていた。

チームの大黒柱であった元フランス代表ベルトロン・ジル(Bertrand Gille)が引退し、助監督を務めていたジャクソン・リシャーソン(Jackson Richardson)が2部のディジョン・ブルゴーニュ・アンドバル(Dijon Bourgogne Handball)の監督に就任した為、チームを去った。

その一方、バックプレイヤーの穴埋めとして、スペインの強豪アデマール・レオン(CB Ademar León)からブラジル代表のプレイメーカー、ジョアオ・ダ=シウヴァ(João da Silva)を獲得。さらに、昨季終盤にジャクソン・リシャーソンの息子であり、天才の呼び声高いメルヴィン・リシャーソン(Melvyn Richardson)が18歳の若さにしてプロデビューを果たしている。

そして、監督は前年度中盤にクロアチア人のイヴィツァ・オブルヴァン(Ivica Obrvan)へ交代していた。オブルヴァンはゴレニェ・ヴェレニェ(RK Gorenje Verenje/スロヴェニア)、ザグレグ(RK PPD Zagreb/クロアチア)、マケドニア代表を率いてきた東欧での実績が豊富な指揮官である。

 

監督して初めて腰を据えて準備が出来る新シーズン、オブルヴァンは長く厳しい戦いに備えるべく強度の高い練習を選手たちに課し、そのハードな内容に土井は120%の力で応えた。新監督下のポジション確保、来たるシーズンでの活躍へ向けて膨らみすぎた気持ちが「頑張り過ぎ」を呼んでしまったのである。激しく追い込み過ぎた身体の回復が追い付かないまま、さらに身体を追い込む。知らず知らずの内に容易には取り除けない程のダメージが身体に蓄積され、土井はオーバートレーニング症候群に陥ってしまった

 

「(ハードワークのしすぎで)体調を崩して、体重が激減しちゃったんです。当時の平均体重が75kgだったのが、70、71kgくらいまで落ちました。体は疲れ切っているし、パワーを全く感じなかった。」

 

4-5kgの減量がそんなにも影響するのかと思われるかもしれないが、ボクシングで階級を一つ上げ下げした途端にパフォーマンスが劇的に低下するという例があるように、トップスポーツの世界では2-3kg体重が上下するだけで身体が思うように動かないという事が往々にしてある。土井の場合は4-5kgの低下。前季と同様にスターティングメンバーとしてシーズン開幕から試合に出場したものの、フィジカルコンディション低下の影響は試合中のパフォーマンスに大きく表れた。

 

「1-2試合目くらいまでは良い試合をしたんですよ。やっぱり(格下の)トランブレ(Tremblay)とニーム(Nimes)が相手だったので、ある程度通用しちゃったんですよ。でも、その後の2試合が(リーグ上位の)ナント(Nannte)、モンペリエ(Montpellier)。2試合合わせて10本中2本程度(のシュート決定率)。今までこんなに外したことが無いという酷い状況でした。疲れ切っていて体に力が入らないから跳べないし、体幹は崩れるし、シュートの力は無いし…、全然(シュートが)入らなかったんです。

 

前のシーズン75.61%あったシュート決定率は54.17%まで落ち込んでいた。

 

土井は自身を『脚で点を獲るウイングプレイヤー』と評している。卓越した身体能力を最大の武器にしている彼にとって、身体が自分の思うように動かないという状態は翼をもがれたと同然である。

 

奪われた居場所

10月9日のパリ・サン=ジェルマン戦、調子の上がらない土井に代わって出場したもう1人のレフトウイング、キエド・トラオレ(Queido Traore/フランス)がチャンスを掴んだ。試合には敗れこそしたものの、トラオレを2列目に配したディフェンスが格上相手に効いた為、オブルヴァンはその後レフトウイングにトラオレを選ぶようになった。

 

「当時は(フランスリーグの)選手登録枠が14人制で、バックプレイヤーやディフェンスに問題が多くあったから、監督は1人ずつしかウイングをメンバーに入れなかったんです。だから、僕は(メンバーから外れていた時期)ほぼ若手チームと試合していましたね。」

 

CSHでは、招集外の選手はチーム指定のスーツを着用して観客席から観戦するのが決まりとなっている。前年度ほぼ全試合コート上にいた土井にとって、スタンドから戦いを見つめなければならないのは受け容れ難い事であった。しかし、オブルヴァンは土井に調子を取り戻す手助けをすることも機会を与えることもなかった。

 

11月21日に行われたEHFカップ予選第3回戦のフュクセ・ベルリン(Füchse Berlin)戦。ベルリンは前年度まで現日本代表監督であるダグル・シグルドソン(Dagur Sigurdsson)がチームを率いており、EHFカップのディフェンディングチャンピオンとして参戦していた。ベルリンでの1stレグ、土井は体調を戻し、久々にベンチへ復帰していた。

 

シャンベリーからバスで12時間かけて駆けつけたサポーターグループ『フレーガ12』の熱狂的な声援を受けたCSHは格上のベルリン相手に引き分け、ホームで行う2ndレグに大きなアドバンテージを得た。

 

まるで勝ったかのように大騒ぎしていたチームメイトやサポーターとは対照的に、土井の表情にはどことなく暗さがあった。 試合後、宿泊先のホテルで会った際に彼が漏らした「体調は持ち直しているんです。(試合に)出場さえさせてくれれば認めさせてやるのに。」という言葉からは、プレー機会を全く与えない監督への失望や昨季とは全く違う状況に対する焦燥など、複雑な心情が滲み出ていた。

 

精神的に本当にボロボロになりましたね。試合に出ても結果を出せない。だから自信を完全に失ってしまったんですよね。 また(プロ1、2年目と同様に)自分で解決するしかなかった。」

 

ホームLe Phareで行われた2ndレグでは、圧倒的な声援を受けてCSHがベルリンを下し、EHFカップ本選進出を決めた。チームの調子が上昇気流に乗る一方、土井は自ら嵌ってしまった落とし穴の中でもがき続けていた。

 

 

失った自信を取り戻すきっかけは思わぬところから舞い降りた。日本代表への参加である。

 

初めての日本代表

リオデジャネイロ五輪予選の敗退を受けて、日本ハンドボール協会は岩本真典監督に代わり、スペイン人のアントニオ・カルロス・オルテガ・ペレス(Antonio Carlos Ortega Pérez)をアジア選手権のみの短期契約で招聘した。オルテガは選手として長年FCバルセロナ、スペイン代表でプレー。引退後は母国のアンテケーラ(BM Antequera)で監督業を始め、次に率いたハンガリーの強豪ヴェスプレーム(Telecom Veszprém)では、チームをEHFチャンピオンズリーグFINAL4の常連になるまで押し上げた。世界中のチームが欲しがる真の名将である。

 

オルテガはバーレーンで行われるアジア選手権を勝ち抜く為の戦力として土井と、当時ハンガリーリーグを舞台に戦っていた銘苅 淳(めかる あつし/北陸電力)を招集した。これまで両名は日本代表でプレーしていなかった。その大きな理由はシーズンスケジュールの違いであった。

 

欧州は8月末から6月初旬まであるリーグ日程の合間を縫って、代表マッチウィークが設定されている。その一方、日本にはその期間が無く、独自日程で3月までリーグ戦が行われ、その後代表合宿を開く。欧州リーグにおいて4,5月というのは、優勝、欧州カップ戦参加権、昇降格の懸かる最も大事な時期である。そのような時期にチームを離れて遠く日本まで行く事など出来はずがなかった。また、代表マッチウィーク外の為、日本ハンドボール協会に彼らを束縛する権利は無く、クラブが貴重な戦力を手放すはずもなかった。

 

しかし、アジア選手権がリーグ中断期間中の1月に行われることに加え、現在置かれている状況を打開したいという想いから、土井は日本代表からの招集に初めて応じる決意をした。

 

「初めての日本代表への参加でしたけど、自分を表に出さなきゃいけない、意思をちゃんと伝えなきゃいけない、というチームへ溶け込む為にすべきことはシャンベリーで学んで来たから(問題は無かった)。それに昔から顔なじみの選手もいたので。歳上の選手達も僕のことをリスペクトしてくれました。だから、チームのメンバーとはすぐに打ち解けられて。」

 

2015年8月、日本代表はフランスのグルノーブルでプレシーズンのプライベートトーナメントにゲスト参加していた。それに先駆けて2015年8月12日にCSHとテストマッチを行なった。結果は39-22の17点差でCSHが大勝。しかもCSHの選手たちはバカンスが明けて2週間も経っておらず、休ませた身体を長く激しいシーズンを戦える状態に上げるべく追い込んでいる最中で疲労の極みにあったにも関わらず、である。

 

「僕もその試合に出たんですが、日本代表の選手達はレベルの違い、格の違いをその時に見せつけられて。それで、僕がどういうところでやっているのかというのをちゃんと理解してリスペクトしてくれたんですよ。」

 

オルテガ率いるチームはハンガリーでの事前合宿を経てバーレーンでのアジア選手権本大会に臨み、カタール、バーレーンに続く3位となった。土井はこの大会、シリア戦を除く5試合に出場。18得点の活躍を見せ、26年ぶりの対韓国戦勝利、2017年1月開催の世界選手権フランス大会出場権獲得に貢献した。

 

「やっぱりメンタルの調子が良いと、何をしてもうまくいくんです。だから、合宿ではシュートが全部入ったし、何よりも良い状態で大会に臨めました。その結果活躍が出来て、(一度失った)自信を掴み取れました。」

 

日本代表での戦いを通して自信を取り戻すきっかけを得ても、CSHで土井が置かれている状況に変化は無かった

 

取り戻せない居場所

リーグ再開後、土井にチャンスが巡って来たのは2016年3月19日。EHFカップグループステージ第5戦、イシュタット(Ystad IF)とのアウェイゲーム。勝てば準々決勝進出という重要な試合であった。イシュタットはスウェーデンリーグを2度優勝したことのある古豪で、現在ドイツの強豪THWキール(THW Kiel)で活躍し、当時18歳ながらスウェーデン代表デビューを果たしていたルーカス・ニルション(Lukas Nilsson)、同じくTHWキールで中心選手として活躍した大ベテラン、キム・アンデション(Kim Andersson)が当時所属していた。

 

CSHは序盤から苦しい戦いを強いられた。前半15分、オブルヴァンは流れを変えるべく、直近のリーグ戦でパフォーマンスが低調だったトラオレに代えて土井を投入した。得点こそ1であったが、攻守において自他共に納得の行くプレーを見せ、26:27(前半14:13)の逆転勝ち、ノックアウトラウンド進出に貢献する。この難しい試合で活躍したことで、土井は自信を完全に取り戻したと確信した。だがしかし、次のニーム戦、招集リストに『Rémi Feutrier』の名前は無かった。土井の中で張り詰めていた糸がプツンと切れてしまった。

 

「『何なの。俺は何の為にあれだけ気持ちを整えながら長いこと待って。イシュタット戦でやっと来たチャンスを良いプレーして掴んだのに…こうして古くなった靴下みたいに捨てられちゃうの。今シーズン、もうどうでもいいや』ってなっちゃいましたね。それから練習に全然身が入らなくなってしまって。やる気を完全に失っちゃったんです。

このクロアチア人監督による自分への扱いに心底失望した土井は移籍先を探し始めた。しかし、既に移籍マーケットは閉じかけていた。欧州ハンドボールにおいて、通常10月から3月末までが移籍先を探す期間と言われている。4月から7月までは、昇降格が決まるか、長期離脱の怪我人が出た場合に緊急で補強を行う程度である。また、サッカーでは違約金を払うことで契約期間内に移籍することがよくあるが、ハンドボールは契約期間を全うしてから移籍するのが通例である。

 

つまり、余程の事情が無い限り、チームが選手を契約途中で放出する事は無い。さらに、ウイングというポジションはチーム内で補強の優先度が低い上に2人しか在籍出来ない為、バックプレイヤーより人材の流動性は乏しい。そういう事情もあり、土井が探し始めた時には既にフランス1部リーグのチームは来季の補強を完了していた。

 

その中で土井の獲得に手を挙げたクラブがあった。前年度までCSHの助監督を務めていたジャクソン・リシャーソンが指揮を執る2部のディジョン・ブルゴーニュ・アンドバル(Dijon Bourgogne Handball)である。しかも、ディジョンにはCSHセカンドチーム時代からの付き合いで、土井の盟友であるフランス人ゴールキーパー マキシム・デュオ(Maxim Diot)が在籍していた。

 

デュオは当時の事を以下のように述懐している。

 

「レミイ(土井)とは親友として、彼のキャリアにとって何がベストな解決策か、かなり深く話したよ。もちろん、せっかく出来た友人やサヴォワ地方という美しい土地を離れるのは辛い事であるけども、僕らはプロハンドボール選手だから、いつかそういう日が来るのをわかっている。だから、彼とはプロフェッショナル同士として腹を割って話し合って、アドバイスを送ったよ。」

 

土井の気持ちは大きく揺れ動いていた。

 

「ディジョンは僕のことを高く評価していて買おうとしてくれたんですけど、最後の最後まで悩みました。でも、思ったんです。『あれだけ早く投げ出してしまったけど、まだやれる事があるんじゃないか。もう一回ちゃんと意識を保ってやれていれば、もっと良い(シーズンの)終わり方が出来たんじゃないかな。ここでディジョンへ行ってしまったら、俺、多分後悔するな』と。それで(CSHに)残ることを決意して。

 

プレー機会を与えない監督に自分を認めさせる為でもなく、トラオレからレギュラーの座を奪い返す為でもない。シーズン途中で戦いを放棄してしまった自分自身に打ち克つ為に土井はCSH残留を決心した。常に高い目標へ挑み道を切り拓き続けてきた経験、それによって培った自信が自然と決断を後押ししたのだろう

 

「結局、3年目は酷い、一番酷いシーズンでした。(オブルヴァン)監督との初めての準備期間っていうのもありましたけど、頑張り過ぎちゃうのもダメだなと。辛い練習になるんだったら、その中でも自分の体調をちゃんと整えられるように、良い意味で手は抜かないといけないなっていうのを学びましたね。日本では良しとされないでしょうけど、プロの世界では必要なことなんですよね。

 

来シーズンは悔いを残さない。」

 

決意を新たに土井はCSHとの2年契約最終年に臨んだ。

第5章へ続く–。
(文中敬略称)

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RyoheiKobayashi
1987年神奈川県藤沢市生まれ。ドイツ連邦共和国ラインラント=プファルツ州マインツ在住。日本ハンドボール協会ヨーロッパ特派員。 学生時代ドイツへ旅行した際に観たEHFチャンピオンズリーグRhein-Neckar Löwen対FC Barcelonaで感じた興奮と、Gudjon Valur Sigurdsson(Rhein-Neckar Löwen)によるファンサービスへの感動からドイツへの憧憬を覚える。 卒業後、東証一部上場メーカーで勤務するも、休暇を利用して訪れたドイツにて、THW Kielの広報、Füchse Berlinの事務局長へインタビューしたことをきっかけに、ドイツの地でプロハンドボールクラブのマネージャーになることを志し、退職して渡独。2017年春よりマインツ大学大学院国際スポーツマネジメントコースへ入学予定。 現在、入学準備を進める傍ら、代理人、通訳としても活動中。 好きな酒は、日本酒、球磨焼酎、ビア、ワイン

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